日本慢性期医療協会

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近未来の病院間連携での自院の座標軸と、どのような役割を果たすのかの決意を

日本慢性期医療協会会長  武久洋三
JMC第68号(平成22年4月号)より

「老人の専門医療を考える会」の活躍で悪徳病院のマイナスイメージは払拭

急性期との連携を語るにはまず、急性期病院とはいかなる病院かを知らなければ話が進まないし、その急性期治療を受け継ぐのはどのような病院かということもまた重要である。

ここでは、ここ10年間の病院病床の変遷を振り返りながら、平成22年という今の本当の意味での急性期連携にたどり着き、そして、これから来るべき超高齢化社会と、高齢者死亡者の急増を見据えた急性期病院のあり方を探り、それを継承する慢性期病床はどのような連携をすればよいのか。急性期病院の勤務医が悲鳴を上げる中で、ミスマッチングな患者をできるだけ早く緊急に慢性期病院が引き受けることにより救急難民を防ぎ、医療費を削減し、適正化しなければならない。

筆者が平成20年3月に日本療養病床協会の新しい会長に推挙された瞬間に、その場で筆者は協会名を日本慢性期医療協会としたいと表明した。

その半年前から提案はしていたので、一部今の時期に?と怪訝な顔をされていた会員もおられたものの、全会一致でお認め頂いた。

筆者はかねてから、病院病床が一般病床と療養病床に分けられていること自体について承服していなかった。すなわち、一般病床は急性期病床であり、療養病床は高齢者の社会的入院の多い、医療機能の低い病院だという社会的認識を演出され続けてきたことに大いなる不満を感じていた。

療養病床の生い立ちを考えてみれば、大態ルポともいうべき老人病院ルポによる告発から始まり、特例許可老人病院、介護力強化病院、介護療養型医療施設と名称も続々と変化してゆく課程で、「老人の専門医療を考える会」の創設期の先生方の素晴らしい活躍があったことを忘れてはいけない。これらの先輩の先生方のおかげで老人病院、すなわち、悪徳病院というマイナスイメージは払拭されてきたことは誠に大きい功績である。

その後に平成12年より療養病床は医療療養病床と介護療養型医療施設に分けられて医療保険と介護保険の両制度にまたがることになった。

「社会的入院患者」という事実を基に医療必要度による患者分類を構築

平成15年8月には、病院病床のほとんどがその他病床という枠に入っていたものを、病院病床は一般病床か療養病床のどちらかに分けて届けるようにという通達により、一般病床約90万床、療養病床約38万床となったわけである。医療療養病床の診療報酬は包括制であり、介護療養型医療施設は介護度別報酬であった。

平成15年4月の介護報酬改定では、要介護1、2が大幅(約30%)減額され、介護療養型医療施設では、重度の要介護者が主に入院する施設としての方針が明らかとなったのである。そこで何が起こったかというと、全入院患者の一括包括制度の医療療養病床に軽度要介護患者を流入させ、代わりに、重度要介護状態の患者を介護療養型医療施設に転棟させるという対応を行った病院が多くなったということである。

一方、平成15年にはすでに、医療療養病床の包括制を患者分類という手法に変えていこうとする取り組みが始まっているのである。

やがて平成15年中に、介護療養型医療施設の軽度要介護者と医療療養病床の重度要介護度の患者の入れ替えがそろそろ終了するという時期に、療養病床での患者の状態調査が行われたのである。それまでは一応、医療療養病床には医療度の重い患者が入院し、介護療養型医療施設には要介護状態ではあるが、医療の必要の低い患者が入院していた。

しかし、この患者交換が行われた直後での調査により、医療療養病床と介護療養型医療施設に入院中の患者に差がなく、社会的入院と言われてもよい患者が医療療養病床に多く入院しているという事実が明らかとなった。

その事実を基にして、医療必要度による患者分類を構築したのである。医療必要度の高いものを医療区分3として該当項目を定め、次に医療区分2の項目を定め、このいずれの項目にも該当しない患者、すなわち、医療区分2、3以外のものを全てひっくるめて医療区分1として、ADLの3区分によって9つの病態を想定した患者分類となった。

これらの結果を誘導したのは、平成15年に発足した慶応義塾大学の池上直己教授を会長とする「診療報酬調査専門組織・慢性期入院医療の包括評価調査分科会」であった。この分科会設立の性格自体が、すでに当時の厚労省幹部による「療養病床を削減したい」という意欲の表れであったのである。これはその時点まで、医療療養病床は包括制という、いわゆる「まるめ」という診療報酬が続いていたため、どうしても軽度の患者を選んで、入院させようとしたりした病院も目立つようになったことにも原因があろう。

さらに一部の厚労省のお役人のご両親などが、都市近郊の療養病床に入院されていて、そこに家族として見舞いに行った幹部公務員が、そこで行われていた医療サービスのあまりの惨状に驚いて嫌悪感を抱かれたことが、療養病床削減の遠因となったとの風評も聞かれたこともある。

「麦谷ショック」によって病院経営者の良心を呼び起こす

真相はともかくとして、平成15年から仕掛けられていた療養病床削減政策は、削減した医療療養病床を介護療養型医療施設に移行させようとする厚労省保険局医療課に対して、介護保険料の高騰に頭を悩ませていた老健局老健課は、頑なに拒否を示し続けていた経過がある。

そしていよいよ、平成17年9月11日のあの詐欺的な郵政選挙の結果、大勝した自民党が要求した、混合診療の解禁と医療費のGNPキャップ制を拒否した見返りに、平均在院日数の短縮と特定検診を約束させられたということである。

そこを機に、医療療養病床は平均在院日数が長いからここを切れば短縮させられるし、かねてよりの削減願望の双方を満足させるものとして、渡りに船と療養病床の大幅削減が決まったのである。しかしその削減された病床を介護保険に移すことに断固反対していた老健局との折合がつかず、当時の厚労省のトップが平成17年末近くなって、介護療養型医療施設を全廃するという予想もしない暴挙に出たのである。

それから平成18年4月の医療保険と介護保険の同時改定へとなだれ込んだのである。そこで患者分類の9区分には実に恣意的な入院料が呈示された。それは、医療療養の半分は医療区分2、3以外の医療区分1であり、すなわち社会的入院だと決めつけたのである。まったく意識のない患者も区分1と強引に設定し、それらの患者は、療養病床から移動させざるをえないような点数をつけたことは記憶に新しい。そのとき、当時の日本療養病床協会の木下毅会長以下、副会長だった筆者も含め、強く抗議をすることにより少々の微調整はしていただいたものの、大局は微動だにしなかった。

しかし、4年以上経過した今考えてみると、半分はオーバーであったものの、たしかに存在していた医療区分1・ADL1の社会的入院といわれてもいいような患者は医療療養から姿を消し、医療療養病床の性格がまったく変わってしまったのである。これこそ、その当時の課長である麦谷氏による「麦谷ショック」と筆者は呼んでいるものである。このショック療法は強烈パンチであったものの、療養病床を持っている病院経営者の医療者としての良心を呼び起こす大きな役目を果たした。

平成22年では、全国の医療療養病床の多くは、「病気の人をできるだけ早く適切な治療をして、できるだけ早く退院させる」という、病院として当たり前の機能を発揮することができるように生まれ変わっているのである。しかしこの事実は、まだあまり衆目の知ることとはなっていないことは誠に残念である。

療養環境改善に投資した病院では手の平を返す厚労省に強い怒り

療養病床問題は実は、平成15年8月末日までにその他病床を一般病床と療養病床に分けて届出をさせたところが出発点である。療養病床は病床面積も広く、廊下も広い。食堂やリハビリ、談話室が必須で4人部屋までという、ハードの優れた療養環境が条件であるのに対して、一般病床は病床面積も狭く、廊下も狭く、6人から10人部屋まで許容されており、まともに入院生活が送れる環境ではない。したがって、病院側は届出までにどういう対応をしたかというと、それぞれの病院の事情でかなりいろいろ考えた末に決定したということである。

それまで、病院の基準は病床面積は一床あたり4.3㎡であり、廊下幅も1.8mであったので、よほど余裕がある病院でない限りその基準で建築されていた。ところが療養病床はそれが約1.5倍であり、いろいろなスペースも必要であったため、平成10年頃から療養環境の改善に対して手厚い診療報酬が保障されたこともあり、病院の改修、増改築を行った病院が多かったわけである。建築後40年以上経過した病院も多く、補助金も出るなどの改築促進政策もとられたことにより、積極的で進取の気性に富む経営者は、意を決して増改築を決心したのである。この傾向は明らかに西高東低であり、西日本は積極的に投資をした病院が多かったのに対して、特に東北では意欲が低かったと思われる。それは人口10万人に対する療養病床の数が明らかに東北で少なく、何と山形県は高知県の5分の1しかないことでも推察される。

あの当時、厚労省の病院療養環境の改善政策に乗ってどんどん投資をした病院が評価されたものが、まさに手のひらを返すかのように平成17年からは「療養病床の多い県はけしからん」となったわけだから、当時者はあきれるというよりも、あっけにとられてしまった。そして、それから厚労省に対しての強い怒りに変換されてきたのである。

厚労省の平均在院日数の短縮化で苦肉の策として特定除外患者を設定

平成15年8月には、すべての病床が6.4㎡以上で4人部屋という新基準に、新装済の病院では単純に医師や看護師の数と入院患者の状態で、病棟を一般と療養に分けて届出をしたであろうが、一部しか改装が終わってなかった病院では、改装されたところしか療養病床として認めてもらえなかったことから、新しくきれいで広くなった病棟を療養病床として届け、古い病棟は一般病床として届けたのである。もちろん、まったく改装しなかった病院は、すべて一般病床として届出するしか方策はなかったのである。

しかるに、厚労省は医師と看護師の法定人員が多いことだけを取り上げて、一般病床は急性期病床であると喧騒したため、病院経営者は錯覚してしまったのである。しかし、本当の急性期病院でなければ、急性期の患者がそんなに多くいるわけでもないため、平均在院日数が長い、いわゆる当時の入院基本料Ⅱ群の60日、90日というような病院では、収入ががた減りとなってしまうことになり、平均在院日数の短縮を進めなければならない厚労省にとって、厄介な問題となってしまった。

そこで、苦肉の策として考えられたのが、一般病床入院後90日以上の患者を特定患者として特別入院基本料という大変安い入院費を設定する代わりに、その除外規定を設け、脳卒中後遺症など、それまで入院していたほとんどの慢性の長期入院患者に適合させて、出来高払いで、何年入院しても平均在院日数に算定しなくてよいという例外規定を作ったのである。

一般病床には慢性期の長期入院療養患者がその当時で10万人くらい入院していたことになり、厚労省自らが一般病床は急性期病床だという概念を覆してしまったまま今日に至っている。その結果、実質、入院は慢性期の高齢者患者があふれているにもかかわらず、自院が救急指定を受けていたり、たまに外科手術を行うことを拠り所に、自院は急性期病院だと信じようとする中小病院が、全国の到る所で増え続けているのである。

東京と大阪でのモデル事業の趣旨はPost Acuteの担い手を明確に

今回の特集記事の急性期との病院間連携の話をするにあたって、一体、急性期病院の定義は何であり、Post Acuteを受け持つ病院はどこなのかということがはっきりしない限り、これからの病院関連携の話には進めない。筆者が、平成20年4月から日本慢性期医療協会の会長になって、爾来、主張してきたPost Acuteの担い手としての療養病床の役割についてはっきりさせるために行っている、東京と大阪の第3次救急との緊急連携ネットワークのモデル事業は、中途半端な自称急性期病院を無視することから始まっている。

厚労省としてみれば10万人にも及ぶ一般病床の実質、慢性期高齢患者にまで手をつけて、これらの患者が世にあふれて来られても困るわけである。

当時、経済財政諮問会議から強要されたことは、平均在院日数の短縮であったので、平均在院日数の長い療養病床は切ればよいことであるものの、一般病床の中の特定患者除外患者は、平均在院日数に計上しなくてよいことになっているため、さわらぬ神にたたりなしとして、そっと放っておいて衆目の目から目立たぬようにさわらぬようにして、療養病床だけを減らす政策を発表したものである。

前述のように、厚労省の高官たちがたまたま質の悪い療養病床を見たことも遠因であろうが、実は、6~8人部屋の狭く食事を食べるスペースもリハビリをするスペースもないような、中小の一般病院も同時に見ていたならば、彼らのターゲットはまた違ったものになっていただろう。現実に、これらの劣悪な療養環境の中小一般病院はいまだに存在し、一般病床は急性期であり、うちの病院は優秀な急性期機能を有して、地域に役立っている地域一般病院だと言って憚らないのである。

慢性期医療調査で13:1、15:1は医療療養と同じ病態

しかし平成17年暮れから4年を経過した今、明らかに様相が変わってきている。厚労省は急性期は看護基準7:1、10:1であって、13:1、15:1はpost acuteを診る実質慢性期病床だと断定していることは、幹部職員の話からもはっきりとわかるし、何よりも、平成21年2月から行われた医療療養病床での慢性期医療調査の対象の中に、密かに13:1と15:1の一般病床も療養病床と同じ調査をしたことでもわかる。

その結果は、まさに彼らの予想通りであり、13:1、15:1の長期慢性期高齢入院患者の病態は医療療養と同じであり、年齢分布も診療傾向もほとんど変わらなかったのである。この結果は平成21年度の中医協の慢性期入院医療の包括調査分科会で発表された。

この結果に慌てた分科会の一般病床を代表する委員は、ごくわずかな差異をもって一般と療養ではまったく違うといってみても、すでに雌雄は決していたのである。来る平成24年の介護と医療の同時改定では、ドラスティックな変革が行われるであろう。すでに13:1、15:1、医療療養、介護療養、老健施設などを横断した、大規模な一斉調査が行われることが決まっている。

これらの現実が起こる前、すなわち、平成20年4月の診療報酬の改定で、一般病床の特定除外の患者は一般病院から退院させる方向が決まり、平成20年10月からその政策が実行されることになっていたのである。これはそれを去る2年前から、当時日本療養病床協会の副会長であった筆者が、一般病床が実質、慢性期高齢者の棲家となっている矛盾を声を大にして言ってきたことも、少しは考慮されたのかもしれない。

平成20年10月に、実施されたら困る利害者は当時の自民党のボスに頼み込んだのであろうか、退院させる努力をしていれば経過措置として処置が猶予されるというごり押し成果を得て、今日に至っている。平成22年改定でも、厚労省はこの特定除外患者のあまりの多さと、実質6人部屋以上の劣悪なる一般病床の療養環境の改善のなさに唖然として、これらの患者の退院促進による影響を考えて、この経過措置を延長せざるを得なくなったのだろう。

24年度の介護・医療の同時改定は大幅な制度と診療報酬上の評価

しかし、平成24年介護と医療の同時改定には、大規模かつ大幅な制度の改定と診療報酬上での公平化が約束されたといえよう。当然だが、政党や厚労省が決めるのではなく、実は国民が決めることなのである。だからこそ、ニーズの実態を無視して、平成17年暮れに始まった療養病床削減政策は、国民の選択によって白紙となってしまったのである。平成18年の初めに一般病床を代表する委員の方々が「療養病床は大変ですね、大丈夫ですか、やっていけるんですか」と哀れんでいただいたときに、筆者はすでに4年前であるが、「今度の医療改革は実は療養病床の問題ではなく、実質は中途半端な中小の一般病床の問題なのです。これからはよく注意した方が良いですよ」とお返事をしたことを思い出す。

事実この4年間、厳しい麦谷ショックを切り抜けた医療療養病床は、重症患者を積極的に治療し、良質な慢性期医療を実践されてきている病院がどんどんと増えてきているのに対し、増改築のチャンスを失った地域の中小一般病院は、診療報酬上で他の高度急性期病院と明らかに差をつけられて、非常に苦しい状態に陥っている病院も多い。

宮島老健局長がご指摘されているとおり、地域の一般病院に期待されている役割は、「回復リハ」「初期救急対応」「一定の医療レベルの提供」なのである。厚労省幹部の方針であるだけでなく、これは国民の意思でもあろう。高度急性期病院の絶対的確立とpost acuteを担う慢性期医療の充実こそが、高齢者が1日も早く地域に復帰できる唯一の道である。

第3次救急のように、実質多くの重度救急患者に対応している急性期病院に対して、民間の2次救急の評価が低いという不満については、今回の改定でいく文修復されるであろうが、国が高機能な大規模救急センターの確立を目指している以上は、大きな期待は持たない方がよい。むしろ自院をさらなる高度な救急機能に発展させるか、救急を断念するかを判断すべき時期に来ている。

第3次救急と療養病床の緊急連携は大きな成果を上げている

そうした中、平成20年12月より東京と大阪で日本慢性期医療協会による第3次救急病院と療養病院との緊急連携モデル事業が始まった。当時、「どうして2次救急は入れずに、3次救急だけなのか」とずいぶんお叱りを受けたが、象徴的なモデルであることと、2次救急は玉石混淆でどこまで対応してよいか分からなかったことも理由である。

この緊急連携は、実に大きな成果を上げており、平成22年4月改定に、救急病院からの紹介患者を受託することによる加算が考慮された礎であったことは間違いない。中小のケアミックス病院では、患者は一般病床にまず入院して、そこから院内の療養病床に移行させるため、この加算の恩恵に浴さないこともあるが、そういう急変患者を、本来診ている地域の一般病床の機能を療養病床まで拡大されてしまっては、いわゆる、地域の一般病床の存在意義が問われることになるからであろう。

実は、筆者の病院も一般病床を持っているものの、自院の都合を主張してはならない。筆者もその立場はよく理解できるし、地域の中小ケアミックス病院の存在を否定するものでは決してない。地域ではなくてはならない病院として、住民の心の拠り所になっていることも十分に評価している。しかし世の中はどんどん変わっている。IT化は進み、日本中どこにいても情報は瞬時に駆け巡る。やがて個人主義の先駆け集団である団塊の世代が高齢患者として登場してくるのである。

彼らの審美観に耐えうる医療機関たるべきは、いかなるものかを考えなくてはならない。いつまでも古い劣悪な環境の医療機能のはっきりしない病院が国民から支持されるとはとても思えない。今からでも、私たちは目を覚まして自院が高度急性期機能を全うするか、高度急性期医療を継承する良質な慢性期医療機能を受け持つかを決めなければならない。

中途半端な急性期が国民に選ばれないことは、自院の患者動向や実績をみれば、もうすでに明らかに答えは出ているのではないか。筆者は、高度急性期の医療を継承するものの、高度急性期病院では決してできないような高度なpost acute-慢性期医療を提供し、地域住民の付託に答えたいと思っている。

人間がそんなに多くのことはできないのと同じように、1つの病院がそんなに多様な機能を持つことは不可能である。その意味でも在宅における開業医の優秀な医療機能も強く求められている。それぞれの機能を持った医療機能が連携をすることによってのみ、その地域の医療は守られ、地域住民は安心して暮らすことができる。

緊急連携については他の先生方から詳しくご説明いただけると思っている。ここでは、一般病床と療養病床のこれまでの経緯と急性期病床・慢性期病床への移行、さらには平成24年同時改定への流れ、そして、社会保障国民会議が提唱した将来の医療介護提供体制予想を見据えた、近未来の病院間連携に自院は、どういう座標軸でどのような役割を果たしてゆこうとしているのかをはっきりと決めていかなければならない。国や行政や国民から他力本願に決めてもらうのではなく、自らが決めるしかないことを結びの言葉としたい。

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